Vol.05 「けんちゃんの気持ちを落ち着かせる場所」

北海道紋別市にある「カニの爪」のオブジェ。高さは6mもある。写真/こだま

  今月は夜勤が頻繁に入っている。いったい誰が楽をしているんだ、くそ、と思いながらシフト表を指でツーッとなぞって点検した。私と同時期に入ったMさんの勤務日が極端に少なかった。その分が私にまわってきたのだ。知ったところで仕事が楽になるわけではない。むなしい作業であった。
 Mさんは明るくて話好きなので男女問わず生徒から人気がある。彼女と話したい人たちが列を作って順番を待つほどだ。彼女の出勤予定日に私が代理で入ると「えっ、なんで?」と子どもたちの表情が明らかに曇る。「聞いてないんですけど」と不満を訴える子もいる。包み隠さず、思いのままにぶつけてくる。正直でいいと思う。ここで働くようになってダイレクトに否定される機会が増えた。正直だからこそ、残酷な言葉を受け止める覚悟がいる。泣きたいのは私のほうだ。
 もっと明るくなりたいと思う。何でもない些細なことでも話を広げられる人になりたいと思う。これまで目を背けてきた「苦手なこと」の数々に向き合わされる日々が続いている。

 私の足は自然とけんちゃんのいる部屋に向かう。彼は作業に集中したいとき、いらいらを抑えられないとき、「気持ちを落ち着かせる部屋」に籠る。男子棟の二階の突き当たりにある空き部屋だ。きょうも「つかっています(けん)」という直筆の貼り紙があった。ほぼ自室のように使いこなし、毎日少しずつ私物を持ち込んでいる。
 そっと覗いてみたら、片手を額にひょいと掲げ、爪先立ちでススッススッと優雅に進んでいた。伝統芸能の身のこなしだ。声を掛けるのもためらうほど真剣な眼差しで舞っている。そもそも、けんちゃんはふざけることがない。嵐の家賃を記帳しているときも、自身の全国ツアー(約束の十二月になったが出かける気配はない)のスケジュールを見せてくれたときも真剣そのものだった。

「それは何の踊り?」

 私は我慢できずに尋ねた。

「こ、これは、ぼっ僕が考えたニューヨーク・タイムズという踊りさ」

 けんちゃんの口から横文字が出てくるとは思わなかった。彼はニューヨーク・タイムズが何なのか、おそらく知らない。でも、そんなことは関係ない。「この指先、この足の角度こそがニューヨーク・タイムズである」と彼が決めたのなら、それが正解なのだ。

 先週、夕食の時間になってもけんちゃんの姿が見当たらなかった。あちこち探していると、公衆電話が置いてある七十センチほどの棚の中にすっぽり嵌っていた。彼は胎児のような、宇宙遊泳のような逆さまの姿勢でひとり激昂していた。

「ぼっ僕が、いっいないのに『いただきます』をするとは、なっ何事だあ!!!」

 昭和の大黒柱のような台詞を久しぶりに聞いた。食堂には八十人ほどの生徒が集まる。けんちゃんのテーブルを担当していた指導員が彼の不在を見落としてしまったようだ。そもそも時間に遅れた自分が悪いのだが、そんなことは棚に上げ、逆さまになりながら顔を真っ赤にして怒っている。

「ぼっぼかぁ、たっ食べないよ。きっ気分が悪い」

 なだめてみても駄目だった。食事を終えた生徒が続々と食堂から出てくる。おかしな格好で意地を張る姿を彼らに笑われ、さらに意固地になる。ああ、これはしばらく続くな。気が済むまで近くで見ているか。私も隣に腰を下ろした。
 人の往来がいったん落ち着いたのを見計らい、再び声を掛けた。

「あそこの窓のところで食べようか」

 窓辺には小さな丸いテーブルがあった。普段はシクラメンの鉢植えが置かれている。この日は撤去されたのか、テーブルだけがぽつんと佇んでいた。
 けんちゃんは一言「いいね」と言った。  いいのかよ。さっきまでの気高さはどこへいったんだよ。だけど、その変わり身の早さが彼らしくもある。食事を運んできた私に向かって、けんちゃんは黙って親指を立てた。

※本稿は、著者こだまが文学フリマ東京(2015年11月23日)で頒布したエッセイ集『塩で揉む』の一遍を、個人の特定に至らないよう加筆・修正したものです。

参照元:日刊SPA!

こだま

作家。私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作はNetflix・FODでドラマ化されるなど大きな反響を呼んだ。また、エッセイ集『ここは、おしまいの地』(太田出版)は第34回講談社エッセイ賞を受賞した。その他著書に『いまだ、おしまいの地』『ずっと、おしまいの地』『縁もゆかりもあったのだ』(太田出版)がある。本作『けんちゃん』が著者初の創作小説となる。

前へ
前へ

Vol.06 「けんちゃんの修学旅行」

次へ
次へ

Vol.04 「けんちゃんの単独架空公演」