Vol.02 「嵐は自分の使ったお金がわからない」
『けんちゃん』の舞台である北海道東部の風景。写真/こだま
寄宿舎の一階にある食堂ホールで夕食を済ませた生徒たちは、消灯時刻の二十二時まで思い思いに時間を過ごす。談話室でテレビを観たり、友達同士でスマホゲームに夢中になったりしながら、短い夜のひとときを楽しんでいる。ほどよく緩んだ空気が漂う廊下を歩いていると、十一号室から低い唸り声が聞こえた。
けんちゃんだ。部屋の中を覗くと、何かに追い込まれるように机に向かっていた。
「どうしたの?」
「いっ忙しい。パ、パンクしちゃうよ。ぼ、ぼかぁ時間がないのに」
彼は髪を掻きむしりながら答えた。 お小遣い帳の記入が追いつかないらしい。「そんなに大変なの?」と、その使い込んだ小さな手帳を見せてもらう。どのページも筆圧の強い文字でびっしりと埋まっていた。
えらいなあと感心しながら眺めていると「家賃」と書かれたページに「さくらい翔」「あいば」「にのみや」「まつもと」「おおの」という名前が並んでいた。おそらくあの五人だ。一体どういうことだろう。 それぞれの名前の下に金額が記されている。「さくらい翔」が一番高い部屋に住んでいるようだ。家賃一万二円の部屋だ。端数だ。思っていたよりも庶民的な暮らしをしている。まさかと思ったが「水道」、「ガス」、「ボーナス」のページにもしっかり書き込まれている。ガス代は、「さくらい翔」が五百円、「あいば」五百二円、「にのみや」三百二円と続く。ほかのふたりはガスを使っていないようだ。
「これを毎日書いてるの?」
「そ、そうさ。あっ嵐は自分の使ったお金がわからなくなるから、かっ代わりに書いてあげなければ駄目なんだ」
けんちゃんは憤慨していた。
帳面を埋めることが彼の大事な「仕事」だという。痺れた。嵐の生活水準は彼の手に委ねられている。けんちゃんの世界では、家賃も水道もガスもボーナスも株価のように日々変動する。今は「さくらい翔」が一番いい暮らしをしているけれど、一週間後はどうなっているかわからない。
けんちゃんは明日も明後日も「し、しっかりしてくれよぅ」と少し怒りながら端数の多い嵐の生活費を管理する。誰かの目に留まるかどうかなんて関係なく、彼の「仕事」は続くのだ。
※本稿は、著者こだまが文学フリマ東京(2015年11月23日)で頒布したエッセイ集『塩で揉む』の一遍を、個人の特定に至らないよう加筆・修正したものです。
参照元:日刊SPA!